上記が、作成した指数関数の微分の公式でした。元の関数に、ネイピア数を底とする自然対数の余計なおまけがついています。
今、ここで、元の指数関数の底 a を、こちらもネイピア数「e」にしてしまったらどうか、ということを考えてみます。実際に上の式に入れてみると、
このように後半分の自然対数のおまけの部分は、「 e を e 自身にする指数」ですから、「1」になって消えてしまいます。すると、どうなるかというと、導関数は元の関数自身の姿にループして戻ってしまいます。
これは、「ネイピア数 e を底とする指数関数は、微分しても形が変わらない」ことを意味しています。また、導関数は接線の傾きを集めた関数ですから、同じことは次のように言い換えることもできるでしょう。
これまで、微分することで初めより簡単な形になったり、あるいは逆に複雑になったりする関数をみてきましたが、形が変わらずにまったく同じになる関数というのは、これがはじめてです。また、この微分しても変わらない関数というのは、この関数が唯一のものと言われています。他の関数は、微分の調理機械に入れてやると、すべてどこかしらは煮えたり焼けたりして出てきますが、この関数だけは、何回放り込んで取り出しても、なんの影響も受けず、はじめとまったく変わらない無垢なままの姿で出てくるというわけです。微分という計算動作に対して不死身で無敵の、きわめて特殊な関数ということになります。
先に数列のところでネイピア数を紹介したときに、なんとも奇妙な形の式で、計算値も中途半端な値であるにも関わらず、数学の中では筆頭といっていいくらい重要な数とされていることを述べましたが、ネイピア数と自然対数が重要である大きな理由のひとつが、この微分における特殊な性質です。微分の計算の中で、指数・対数の計算が出てきたときに、底をネイピア数に揃えると計算がすっきりしてすこぶる簡単になるので、それが常に意識され、当然視されます。微分においては、このネイピア数が、算数の四則演算における「1」のように、基点になる数なのです。
では、このネイピア数・自然対数は、なぜこれほど(指数関数の)微分にとって重要で、また相性がいいのでしょうか? それを、もう一歩さらに突っ込んで、次で考えてみましょう。