われわれの日常的、直感的な理解においては、曲線(曲面)が直線(平面)と1点だけで「接している」状態というのは、ぐらぐらと揺れ動く、不安定さのシンボルそのものです。
このことを端的に表現しているものに、たとえば漢字の「鼎」(かなえ)という字があります。この文字のもとの意味は、半球型の丸底の鍋(なべ)に3本の脚をつけた調理器具のことで、そこから転じて、「鼎立(ていりつ)」「鼎談」などのように、3つのものが、拮抗して安定した状態を表現します。文字の形もそのままそれを美しく象(かたど)っていますね。
![]() 「鼎」 Wikipedia |
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この文字に、そのようなニュアンスが生じるのは、丸い底のままで、1箇所だけで床面と接している状態では、鍋が安定して据えられない、3つの接地点で支えることで、はじめて安定するという経験的な感覚が、あらかじめわれわれの中にあるからです(調理や茶道で使う「五徳」の起源もこの鼎だそうです)。
もうひとつの例としては、有名な「コロンブスの卵」の逸話があります。(ほんとうは作り話だそうですが)コロンブスが、誰か卵を机の上に立てることができるか、と聞いて、卵のお尻を潰して、こうすれば立てられる、と言ったという話です。これも、われわれの日常の感覚の中では、卵は、そのままでは、コロコロ転がって平面の上では安定しない、という知識が共有されていることが前提になっています。
一方、数学の純粋な理論上の話の中では、接線は不安定ではありません。前回触れたように、仮に接線の傾きが微分の計算値を表しており、たとえば「瞬間の速度」と対応しているものとしましょう。その場合、「接線」がぐらぐらしていると、「瞬間の速度」がいくつもある、ひとつに決まらない、ということになってしまいます。つまり、微分の計算値が、接線と対応しているということは、曲線が直線と厳密に1点だけで結びついている状態は、逆に不安定さの対極の状態で、この上もないくらい固く接着・固定され、安定していて、びくとも動かない、テコでも動かない、と言っているのと同じです。
この点が、理論上の接線と、われわれの日常の感覚が大きくズレている点です。今度はそこから逆に考えれば、われわれの日常の経験の中で、丸底鍋や卵がコロコロ転がってしまうのは、接地点自体がほんとうは微妙に移動していることによって起きている、ということが言えるでしょう。
ところで、「触れられている」側の形状が、滑らかな曲線によって構成される状態から崩れている場合は、逆に一挙に「不安定」になります。
この上の図で、左側の方は、(理論上は)硬く固定されています。一方、右側の方は、直感的な感覚同様、理論的にも「不安定」です。言い換えれば、1点を共有する直線は、いくつもありえるということです。このような状態を、微分と対応させていえば、微分した値がひとつに決まらない、すなわち「微分可能」でない、ということになります。
こうした例外ケースを除けば、理論上の接線は、ただ1点だけで曲線と直線が結びついているのにもかかわらず、きわめて「安定した」ものでありうる、ということを意識したうえで、次でいよいよ、その具体的な中身と、微分との関わりについて確認していきます。






















