この点を整理して理解するために、まず通常の意味でいう「演繹」と「帰納」を振り返っておきます。
まず、「演繹」とは、論理的な推論において、原理や法則を先に立てて、そこから個別の出来事や現象を予測する方法のことです。推論が正常に機能すれば、まだ起きていない出来事の結果を、原理自身の力で直接予言して、これこれこうなるはずだ、と、ずばりと指定することもできます。
これに対して、通常で言う「帰納」とは、個別の出来事や現象のひと揃えの並びから、逆にそれらを貫く普遍的な原理や法則の方を推定することです。このとき、原理を推定する状況証拠を次はこれ、その次はこれ、と増やしていけば増やしていくほど、推論の確からしさは増していきますが、どこまでいっても原理の正当性を完全に確定することはできません。その次の一個で突然例外現象が登場して原理の普遍的な適合性が否定される可能が常に残っていて、帰納自身のサイクルに閉じた中では、それをいくら繰り返しても完全に取り除くことはできないからです。
「演繹(deduction)」の元の動詞は「deduce」で、原意は「(原理から現象へ)外へ・流れる」です。対して「帰納(induction)」の動詞は「induce」で、意味は「(現象から原理へ)中へ・流れる」です。「演繹」は理論から現象を導き出す「合理主義」、「帰納」は経験から理論を導く「経験主義」と言われます。
以上の基本をおさえたうえで、数学的帰納法を同じ図式でイメージ化すれば、次のようになるでしょうか。
数学的帰納法では、まず「原理・法則」は演繹と同じようにあらかじめ与えられています。そして、そこから具体的な現象を確認するときに、ここまで見てきたように、個別の事象を直接ではなく、ある一箇所のペアーを取り出して、その間がら、相互関係だけを確認します。あとは、その認証された関係性が、自然数のベルトコンベアーに乗って、飛び石が水面を飛ぶように、次々とどこまでも勝手に横流しで伝わっていくため、大もとの原理からの直接の関与(推定)なしに、はるか先の事例まで見渡せる、というのが仕掛けでした。
以上から、数学的帰納法は、根幹の機能においては「原理から現象へ」という「演繹」の流れの一種であることが理解できます。名前の方が、にもかかわらず「帰納法」になってしまったのは、図のように推定が横跳びに伝わっていく様子が、帰納法で個別の現象を証拠に数え上げていくときの動作と似ているからなのだそうです。なんともやっかいですね。数学のくせに、と言ってはなんですが、ずいぶんあやふやな気もします。
そういう次第ですので、めんどくさいからと端折ってただ「帰納法」と言ってしまうと、ぜんぜん違う意味になってしまいますから、面倒でも毎回必ず「数学的」帰納法と、ちゃんと限定して呼ばないとといけない、ということです。また、数列の漸化式とこの数学的帰納法は、見てきたように互いに親類の関係にありますが、漸化式を使った数列の定義を、数列の「帰納的(inductive)」な定義と呼ぶことがあります。この場合も、あくまで帰納「的(外見が似ている)」であって、一般でいう「帰納法」そのものではないのです。
さて、一歩一歩進んできた「数列」のコーナーも、これにてひととおり終了になります。次回からは「二項定理」という重要な定理がありますので、ここまで蓄えた道具だても活用しながら、それを勉強していく予定です。