前回みたように、数学的帰納法に限らず、数学の証明では、真偽を判定したい何らかの仮定をまず提示して確認しますが、この最初に提示する仮定を「命題 (proposition)」といいます。「proposition」は、「propose(提案する、申し入れる)」の名詞形で、「前に(pro)置かれたもの(pose)」が原意ですね。このイニシャルをとって、ある数列の項に関する命題を「P(n)」で表すと、数学的帰納法の手順は、以下のような形式で書き表せます。
- 自然数 n に関する命題を P(n) とする。このとき、
―n=1 において P(1) が成り立つ
―n=k において P(k) が成り立つと仮定すれば、P(k+1) も成り立つ
―上の二つが成り立つなら、すべての自然数について P(n) は成り立つ
数学的帰納法を使って証明を行うときは、この手順に正確に内容をあてはめて行っていきます。逆にこの「型」に内容をうまくはめ込むことができれば、それで自動的に証明が完了してしまうので、とてもベンリ、ともいえます。
実際の証明の例
上の内容を確認するために、分かりやすい簡単な例を使って、証明を実際にやってみましょう。例として前回とりあげた「6の累乗の1の位は必ず6になる」というものを使ってあてはめてみます。同じ内容は、剰余演算の合同式を使えばもっと簡単に書けますが、ここではあえてそれを使わない形で書いてみましょう。数学的帰納法の証明のポイント
数学的帰納法を使った証明のポイントは、上の(※)の部分にあります。数学的帰納法では、このように、P(k) が成り立つと「仮定」すれば、P(k+1) も成り立つ、という形で、P(k) と P(k+1) の間の「関係」を1箇所だけ証明すればいいのですが、このとき、ちょっと考えると、P(k) が成り立つことはこれから証明しなければならないことのはずなのに、それを前借りして先に仮定してしまっていいのかな?という疑問が頭をよぎって混乱することがあるからです。また、階段の前の段を踏んで次の段に上るときに、前の段が「仮定」という保証のないものなので、そんなあやふやなものを足場にして次の段に上がったところで、それでしっかりした証明をしたことになるのかな、という不安も生じてきます。しかし、任意の一箇所の前の項が仮定で構わないことは、初項を押さえてそれが数珠つなぎにつながっていくことで、前回にみたように、自然数の数列の性質によって保証されていますし、また逆に、それが仮定でなくて堅固な事実として直接確保できるのなら、それは証明しようとしている内容そのものですので、証明の作業自体がそれ以上必要ない、ということになります。
ですので、このひとつ前の段は、大船に乗ったつもりで、証明する命題の内容そのものを、どーんと仮定に立ててしまって構わないということです。ひとつひとつの項そのものの性質を直接証明するのではなく、漸化式の考え方で項と項の間の「関係」だけを証明し、あとは自然数の強大な機能を信じて身を委ねる、という、この独特の感覚がお腹に落ちれば、数学的帰納法の根幹部分はマスターした、と言っていいのではないかと思います。
数学的帰納法を使わないで証明すると
ちなみに同じ内容を数学的帰納法を使わずに証明するとどうなるのかを、参考までにあわせて考えてみます。これはつまり、上の例でいえば、6の累乗が常に「10a+6」で表されることを、数式をやりくりしてダイレクトに導き出す、ということで、このケースでも既にそう簡単な話でないことは容易に想像がつきます。ここでも合同式を使わずに足並みを揃えることにすると、なにか代わりの得物が必要になりますので、今までやった中から、等比数列の和、等比級数の公式を使ってみることにします。
このやり方では、上の(※)の部分で、等比数列の和の公式から導いた、ある整数の累乗から1を差っ引くと、その数は「整数−1」で割り切れる、という性質を証明の核に使っています。すなわち、「8の累乗−1」は常に7で割り切れ、「6の累乗−1」は常に5で割り切れる、ということが合同式の累乗の公式からだけでなく、(ぜんぜん関係なさそうな)等比級数の公式からもじかに導かれるのです。フェルマーの小定理や、ウィルソンの定理ともちょっと違った内容ですが、これもとても不思議で面白い性質です。
このケースでは、数学的帰納法を使ったものと、分量的にはそう変わりありませんが、数学的帰納法を使わない場合、このように何か突破口になるワザを思いつかないといけないので、あまり考えずにほとんど機械的にちゃっちゃっと証明できる数学的帰納法より、やはり相当たいへんであることは変わりありません。