たとえば、有理数と循環小数では、分子を分母が割り切れずに、余りが元の値に回帰する地点が存在するために、循環節が無限に繰り返されていました。また、10進法/2進法の位取り記数法では、束ねる単位の基数から割り切れずにあぶれた余りが、各桁の値として次々に取り残され、表に浮かび出ることで、数全体のボリュームがみごとに表示される仕掛けです。「10進法と2進法の切り替え」とは、この割る数と余りを一回バラして別の体系へと組み換える作業そのものでした。10進法が0から9までの数字を使うのは、10で割るときの余りがその10パターンだからであり、2進法で使う数字が0と1の2つしかないのは、2で割る割り算の余りが0と1の2つしかないからです。これらの過程で、不可欠な工程として陰で全体の糸を引いているのは、割り算と余りの計算にほかなりません。
「等分除」と「包含除」
割り算には、ご存じのように、[単位量]×[個数]=[全体量] の全体関係において、あらかじめ「個数」の側を固定しておいて、被除の元対象をぴったり敷きつめる「単位量」を求め、余りを残さずに完全なる配分を求めてあくまでも噛み切ろうとするタイプの割り算と、逆に「単位量」の方を固定しておいて、余りを残して割ることでその単位量が元の器にいくつ詰め込めるかの「個数」を求める割り算のふた通りの考え方があります。数学教育の専門語で、前者は「等分除」、後者は「包含除」と呼ばれています。たとえば、われわれがベランダにプランターを並べて植物を飾って楽しみたい、と思ったとします。そのとき、プランターの幅が出来合いで決まっているので、それをいくつ買い揃えればいいだろうか、でも、もしかしたらちょっと端っこが空いてしまうかもしれないな、なら、そこには鉢植えでも置こうか、と考えるのが「包含除」で、逆に、それぞれのプランターに植えたい植物のメニューがはじめに決まっているので、それをぴったり並べるためには、サイズが幾らのものを探してくればいいだろうか、と考えるのが「等分除」です。「割り算」と「除法」という(日頃あまり気にせずに区別なく使っている)ふたつの言葉のうち、「等分除」は「割る」という語の方に、「包含除」は「除く」という語の方に、それぞれより深く根を置いています。

このうち、実際の計算においては、すでに見てきたように、等分除は、小数点を無視して包含除をどこまでもループで繰り返すことで、最終結果に到達しようとする、いわば包含除のマトリョーシカのような計算ですので、より基底の土台にあるのは、余りを残して整数を整数で割る包含除、余りのある割り算といえます。
計算の行為において「包含除」が「等分除」をより基礎的な機能として包み込んでいるのは、等分除の計算も「整数」という、量がデジタルに決まった「単位量」を素材にして行うしかないためと考えられます。ここからみれば、「循環小数」や「位取り記数法」のような、われわれが数を扱うときの最も基本的な仕掛けも、包含除のこの「余り付き割り算」の機能を核に、本質的に「割り切れない」定めの現実世界に向かって、整数というブツ切りの単位量の網の目を広げたものだといえるかもしれません。
「余り」というとなにか余計もの、ハンパな邪魔ものみたいですが、「余りのある割り算」はこのように、数の構造と性質を考えるうえで重要なので、数学ではこの部分を専門に研究する考え方があり、「剰余類」「剰余系」などと呼ばれています。また、そのための専用の分析ツールも作られていて、名を「合同式」といいます。
この節の締めくくりで、この割り算と合同式の世界をちょっとだけのぞいてみたいと思いますが、その前にここでは、この「余りのある割り算」の基本の構造と用語とを整理しておきましょう。

このうち、割り算の答えを「商」というのは一般にも耳になじんでいますが、割る数(除数)を「法」と呼ぶのは、ふだんはめったに聞かない耳慣れない表現です。ですが、合同式の世界では、結果の商より、この「割る数」の方がキーになるので、この「法」と、その元のラテン語である「modulus」という語の方が、むしろ「耳タコ」で常用されます。
では、この合同式がいったいどんなもので、どう使うのか、それを次でみてみましょう。